「本を読めなくなった人たち コスパとテキストメディアをめぐる現在形」を読んだ。
興味深い内容で、わりと一気に読んでしまった。
「本を読めなくなった人たち コスパとテキストメディアをめぐる現在形」
(稲田 豊史著、 中公新書ラクレ,2026)
最近、よく見るネットの言説に、こんな感じのものがある。 小学生くらいのこどもについて、 昔は(と言っても平成初期くらいまでか)、親や教師は、 「マンガばっかり読んでいないで勉強しなさい」と言っていたものだが、 |
最近は、マンガを読んでいる子はむしろ賢い方であり、
そうでない子はマンガも読むことがない、というのがある。
文字を読めない、読まない。読む習慣がない。
ものごとはSNSやショート動画で「学ぶ」。
彼らにとっての知識は「ネット」にあり、
何かあればAIが簡単にまとめを作ってくれる。
そのまとめを見たりコピーしたりすることで、彼らは「知識を得た」ということになる、というのだ。
大学教員の先生方からも、
調べて考察してレポートを書かせるような課題は、もはや成り立たなくなった、という声が聞かれる。
何かあれば、学生はそのまま例えばChatGPTに課題を投げて、レポートを作らせれば良いからだ。いや、良いかどうかわからないが、そうなっているということである。
本書では、さまざまな専攻・地域の大学生、あるいは文筆活動や出版業界に関わる関係者のインタビューを元に、事実として「本を読まなくなった」ということの現在地、そして未来の予想について、説得力のある考察がなされている。
読みながら、いくつか気になった箇所をピックアップしてみる。
「必要な情報は本以外からも取れるので、読書の必要性を感じません」
彼の言う「本以外」はインターネットを指しているが、必要な情報がすべてインターネット上に存在すると彼が信じる理由は何だろう。」(「プロローグ」より)
「労力をかけて長文を読むのが苦手な彼らにとって「何かについて調べる」とは、SNSやYouTubeの動画を見ることであって、専門書にあたったり複数のマスメディアの報道を連続的に追跡して比較検討したりすることではない。映像のほうが文章より楽だからだ。それを心得ている政党側は、演説の一部などインパクトの強い短尺動画を彼らに向けて大量に発信し、感情を揺さぶり、熱狂させ、取り込む。」(第2章より)
「我々は、「長い文章を読み通し、理解できるのは、決してすべての人間に備わった当たり前の能力ではない」という事実を認める必要がある。」(同)
また面白いと思ったのが、
昔、キリスト教を伝道する際に、聖職者たちは、文字を読めない階層の人々へ聖書の内容を理解してもらうために、宗教画や讃美歌、朗読などといった視覚や音声での布教をしていたという指摘である。
今、本を読まない人々が、同じようにしてわかりやすく「学んで」いるのかもしれない。
現代のSNSは、その依存性や中毒性といった側面も含め、何かを「学ばせ」「信じさせ」「従わせる」ということに適したツールであろう。単に読書の面白さを得られないということだけではなく、本や文字媒体を「読まない」ことは、使いようによって非常に危険な結果をもたらすということが、昨今の陰謀論やデマの流布ですでに示されていると思う。
もちろん本書には、「本や読まないが知的で優秀な学生」も登場する。
そして一方、「本を読む自分」「本の好きな自分」をアピールする人たちに、どこか自己愛的な、選民的な感覚がないかとも注意を向けている。
いずれにせよ、
今は生成Aiによって、文章は無料であると考える人が多くなっており、渾身の力で作り上げた文章や書籍が「お金にならない」ことから、
雑誌が消え、書店が消え、そして
「いずれ、長く、それなりに複雑な論旨の文章が自力で読めます」という自己アピールは、高い教養と希少な能力の顕示という点において、『ラテン語ができます』っくらいの意味合いになっていくのではないか」(終章より)
と著者は述べる。
時代とともに、紙の本、そして読書あるいはそれにまつわる文化は、消えゆくものなのだろう。
と暗くなりそうではあるが、
だがしかし、
簡単に消えるわけではないだろうし、少なくとも今は消えていない。
とりわけ、今はホルムズ海峡の問題の影響もあり、今後紙の本の値段が上がる、もしくは入手できなくなると言われているときでもあるので、
私は引き続き本を読むであろうし、一方で動画などからも情報を取ろうとするであろう。
ていうかこの間も平積みの本を衝動買いしちゃったしな(汗
(積読という文化がどうなるかはわからないが)
これからも、すぐにネット検索せずとも自分で考えて書けるよう、まだしばらく認知症にならないよう、生活習慣等に注意しつつ、こつこつと学んでいきたいと思う。
この問題に興味があれば、一読をおすすめ。
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