奈良の興福寺の北円堂が、国立博物館に再現される・・・!?
と聞いて、これは(会期終了が近づいて混雑する前に)行かねば!!!!と思い、
"運慶の仏像が安置される空間をそのまま伝える貴重な例である北円堂は通常非公開ですが、修理完成を記念して弥勒如来坐像の約 60 年ぶりの寺外公開が決定いたしました。
本展は、弥勒如来坐像、無著・世親菩薩立像に加えて、かつて北円堂に安置されていた可能性の高い四天王立像を合わせた7軀の国宝仏を一堂に展示し、鎌倉復興当時の北円堂内陣の再現を試みる奇跡的な企画です。"(国立博物館HPより抜粋。以下同)
本展は、弥勒如来坐像、無著・世親菩薩立像に加えて、かつて北円堂に安置されていた可能性の高い四天王立像を合わせた7軀の国宝仏を一堂に展示し、鎌倉復興当時の北円堂内陣の再現を試みる奇跡的な企画です。"(国立博物館HPより抜粋。以下同)
・・というのを読めば行かざるを得ないでしょうこれは(独断
到着。
チケット売り場には行列ができていた。
私はオンラインでチケット購入してあったので、すぐに中へ。
今回は久しぶりに本館での展示である(このところ企画展は平成館ばかりだったので)。
ということで「本館 特別5室」へ。
・・・・
めっちゃ混んでる!!!!
みんな運慶好きやな!!!(謎の関西弁風
内部は写真撮影不可なので、機会があればぜひ現地に足を運んで直接ご覧いただきたいと思うが、
そこはまさに息を呑む荘厳の空間。
国宝 弥勒如来坐像
運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃
が、
国宝 無著(むじゃく) ・世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう)という、
"かつて北円堂に安置されていた可能性の高い四天王立像"
に囲まれ、すなわち
"7軀の国宝仏"(公式サイト)
がそこにおわすのである。
企画、そして移送や設置に携わって下さった皆様、ありがとうございます。
13世紀、鎌倉時代に彫られた7躯のほとけ。
興福寺北円堂は、
"興福寺の創建者藤原不比等の1周忌にあたる養老5年(721)8月に元明・元正天皇が、長屋王に命じて建てさせたもの"(興福寺HPより抜粋)
とのこと。
その後被災し、1210年(承元4年)頃に再建されており、
この時、当時隆盛を誇る物資であった運慶の一門が、造像を担ったのだという。
会場内の中央には、長い年月、奈良の地で世の変転を見守ってこられた弥勒如来が静かに座しておられる。
ゆったりと力強さを感じさせながらも、衣の流れるような曲線がやわらかいリズムを作っており、
その前で無心に祈れば、弥勒如来の救済を感じることができるだろうと思わせる。
傍に控えるのは、無著菩薩・世親菩薩。
実在の兄弟で、ともにインドで活躍し、法相教学を確立した高僧。彼らの像は、運慶の弟子がそれぞれ担当したとされ、写実的でありながらその表情や所作から深い精神性が感じとれる。弥勒如来とともに、前に立つものを導く力を持っているように思える。
今回、展示としてはこの一室のみ。
国宝が並ぶ空間に圧倒され、また出口近くには、建立当時からの興福寺のCG再現映像があって興味深かった(が離れて見るには説明テロップの文字が小さいのではと思った)。
会場内に特に細かい説明があるわけではないので、詳細は音声ガイドかアプリ(いずれも有料)で、ということになる。
が、北円堂は通常非公開であり、東京にいながらにしてこの圧倒的空間にひたれるだけでも得難い体験ではないかと思う。
展示の最後のところで、興福寺のクラウドファンディング、というか五重塔の令和修理のための「修理奉賛・散華写経」のパンフレットをいただいた。
天平2年(730)に光明皇后によって建立されたという、興福寺五重塔。
今回は「明治以来の文化財保存修理」だそうだ。
なるほど、建築費も高騰している今日この頃。いろいろ大変だろうな。
では写経をして送ってみるk
・・・・
と思って開いてみると、
郵便振替用紙が・・・
・・・ここで手が止まってしまった(汗
いや今、個人的に一番払いにくいのが、この「払込取扱票」なんですよ・・・(汗
近所に以前あった、振替用紙を使えるゆうちょ銀行のATMがなくなってしまい・・・・
どうしようか・・・
と、歴史的建造物の修復へのささやかな援助意欲が、払込の面倒くささ(?)に負けそうになっているのであった・・・。
ちなみに、運慶展を見てから常設展にも回ってみたのであるが、こちらも予想外の混雑!! そしてほとんどが外国人観光客!!
常設展は、またいつか平日の午前中とかに来ようと心に誓った次第である。
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