新井薬師に行ったときの記事で、後水尾天皇の中宮、東福門院和子について少し書いた折、
東福門院って、人生に気苦労が多かったと聞くけど、どんなだったのかなぁ・・
と思って、
宮尾登美子著「東福門院和子の涙」(講談社文庫)を読んでみた。
私が買ったのは↓の表紙の文庫だったが、
今は↓のような分冊になっているらしい。
表紙のイラストが、和子の衣装や髪型、冠を視覚化してくれていて素敵である。
いやこれ、とても面白かった。一気読み。
信長、秀吉、家康、そして徳川3代という歴史の激動のさなか、女性たちもそれぞれに過酷な人生を強いられ、それぞれの立場で毎日を必死に生き抜いていた。
そんな中、武家から朝廷に嫁ぐという前代未聞の歴史的婚姻を遂げることとなった和子の一代記を、
徳川家に奉公に入って以来、生涯かけて和子に仕え、日夜ともに過ごした女中「今大路ゆき」という女性が老境に至り、振り返りつつ語るというつくりになっている。
現在78歳のゆきが、12歳のときに徳川家(江戸城)に奉公に入ってから、仕えていた和子が亡くなって奉公を終えるまでの数十年間のすべてを語るのである。
そこでは、
和子のみならず、その母親であるお江与の方(浅井長政の娘)や徳川秀忠の姿、
そして数々の難問を超えてようやく和子が京に入り(当時の江戸から京への旅の様子も興味深い)、入内してからは禁裏での生活となり、
いわゆるカルチャーギャップやあからさまな"いじめ"、後陽成天皇の「気質」、取り巻く女御(以外の女性も)があまたいる後水尾天皇(およつご寮人事件も)との夫婦としての「交流」の難しさなど、
「武家から朝廷に入内した」と、教科書では一行で終わってしまうであろう事実の後ろ側にある、そこに至るまでの(流血を含む)歴史や人間模様が、鮮やかに、もしくは生々しく再現される。
この物語を読んで、眼前に浮かんでくるのはそれだけではなく、
当時の江戸または京都での暮らしぶり、
美しい自然や、それを愛でる人々のハレのイベントの華やかさ、
祝い事で準備される数々のごちそう、
そして、蔓延する感染症や乳幼児死亡率の高さなど、
いつの世でも、巡る季節の中で日本人が生活してきたその風景だ。
こんなに幸福な姫君はない、とか「国母」とか言われ、絢爛豪華な衣装を身にまとったはずのその女性は、夜、ひそかに涙を拭う日々であった、というこの題名。
そして、語り手の「ゆき」という女性の視点。それが必ずしも"公平"なものではないところがリアリティを生んでいる。誰しもがどこかに"所属"し、仕え、一方では、敵と思ってもどこかで交流して道を開くことで、社会は成り立っていくのである。
結局、眼病のことは書かれていなかった気がするが、和子ほか、登場人物に向かって「お疲れ様でした」と言いたくなる感じであった。
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